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2010年3月21日 - 2010年3月27日

2010/03/27

【0039】過去からの提言(2)

この記事が出された1981年は、南海軌道線が阪堺電軌に分社された翌年にあたります。当時は国鉄再建に向けての議論が盛んだった事もあり、鉄軌道事業における路線分社の行く末に、若干の不安感が感じられていた時代であったという印象があります。また路面電車の世界では、いわゆる軽快電車が登場し(広島、長崎)、長く続いた暗黒時代から、トラムウェイ復権の曙光がさし始めた時期・・と今では定義付ける事ができますが、リアルタイムで見ていた阪堺線ファンにとっては、広島、長崎は別格の存在という意識があったのも事実。前年の平野線廃止という痛恨事を受けての分社でしたので、これからチン電どないなるんかな、という感覚は私にもあった様な気がします。
この記事も、当時の地元の危機感から生れた面もある風で、なぜ分離が必要となったのか、合理化は路線切捨てにつながるのではないかといった不安感が感じられるものになっています。堺市民の間では「阪堺線を守る会」という組織も結成され、南海電鉄に分離の意図を確認されたとの記述も見られます。

これに対し、発足直後の阪堺で活躍された大窪専務(後に社長に就任されました)は、「阪堺線を積極的に生かすため(の分社)」「はしにも棒にもかからない線なら、こんな手間はかけない」と言明されています。記事掲載時点では冷房車ゼロ、大道筋の電停はほぼ全てが露天状態だった阪堺線ですが、その後数年の間に積極的な改善策が実施され、その決意が事実だった事が裏付けられています。広告塗装やイベント電車の展開など、一時は分社経営の好例とも称された阪堺電車でしたが、90年代後半からの公共交通全体(大手を含)の乗客減少傾向や連結決算の導入は想定外だったのかなという感しきりです。分社スキームに一種の限界が感じられる一方、南海電鉄グループ内のコンテンツとしてチンチン電車をアピールする動きが見られているのは活性化への一つのヒントになりそうです。他にはないコンテンツとしての活用法は、地元や行政でも援用可能な部分があるのではないでしょうか。

「もし堺の町からチンチン電車がなくなったら、あとは殺ばつとして埋め立て地のコンビナートと、まとまりのないさびれた町並みだけになってしまう。道路中央を、グリーンベルトに囲まれて走る緑やオレンジ色の電車は、堺の町のシンボルなのです」

上記「阪堺線を守る会」世話人の方のご見解です。これを30年前の意見として処理してしまうのは簡単ですが、「殺伐」と「まとまりのなさ」については、以後どんどん加速してしまっている堺市に思えるのは私だけでしょうか?

(参考:朝日新聞大阪本社 1981年6月21日付朝刊 「」内 記事引用箇所)

偶然入手したスクラップブックで得た情報でしたが、泉陽高校のレポートと、阪堺線を守る会のご活動については、いま非常に興味を持っております。詳細をご存知の方は是非ご教示をお願い申し上げます。

Book
画像解像度は落としてありますが、問題がありましたら対応いたしますのでお申し付け下さい。

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【0038】過去からの提言(1)

興味深い新聞記事がありましたのでご紹介いたします。

「生き残れるかチンチン電車 阪堺線 再建へ三つの提言」

「 1)会社は利用者の要望を尊重して阪堺線を便利で乗りやすいものに改善する

2)堺市や大阪市は阪堺線を南北交通の幹線として位置付け、阪堺線に結びつける東西交通網を整備し、存続のための行政的な措置をとる

3)利用者や住民は、直接的な利害の要求だけでなく、堺や大阪市における阪堺線の存在価値を明らかにし、存続の世論をつくり上げる。」

パッと見て、如何お感じになったでしょうか?
別に目新しい話ではないとお思いの方、ワーキング提言書の自画自賛かよと思われた方(^^;、あるいは東西交通網という文字列に過敏に反応される方もいらっしゃるかも知れません(^^;。まぁちょっと待って下さい。

この記事、今から29年前のものです。提言をまとめられたのは、当時の泉陽高校の生徒さんだったそうです。
(参考:朝日新聞大阪本社 1981年6月21日付朝刊 「」内 記事引用箇所 以下同様)

泉陽の生徒さんは、電停で629人の利用者に聞き取り調査を実施(1980年8月)、利用実態をレポートされたという事です。ご高齢の方、女性を中心に、比較的近距離の利用が多かった事などが明らかにされています。調査にあたった女子生徒の方の意見として、「路面電車は人間的な乗り物なんだな、と初めて気付きました」との声が記されています。レポートの根幹としては「路面電車をバスやマイカーにもまさる安全で公害のない地域大量輸送手段として再認識しよう、という考え」があったようです。80年代初頭、ライトレールや交通権といった言葉がまだ国内に流通していなかった時代に、きわめて理知的かつ先進的な見解が地元の10代から発信されていた事を、ここで特筆しておきたいと思います。

阪堺線の残り時間がどんどん少なくなっていく現在、冒頭の提言をもう一度見つめてみたいものです。泉陽高校の子は優秀やから・・・で片付けてしまっては、余りにもったいない気がします。

Hanataguchi
1981年7月 花田口
(画像の無断転載はお断りします)

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【0037】存廃問題 資料

【0035】でお伝えしました存廃結論のリミットの件、公になっているソースをお示ししておいた方が良いのかな、と思います。いま確認できるものは、まず「9月に結論」の方ですが、2010年1月23日付の朝日新聞(大阪)に記載されています。

http://www.asahi.com/kansai/travel/news/OSK201001230045.html

「同社は支援策の提示を受け、9月には存廃の結論を出したい考えを事務レベルで市側に伝えているという。」
「」内 引用)

6月が支援策の期限の件は、「夏前に」という表現を見た記憶があるのですが、今、ネット上で見られる記事では確認できませんでした。ですが、堺市の「平成21年度第1回堺市総合交通体系検討庁内委員会(議事要旨)」の冒頭、事務局の方のご説明として、以下の記載があります。

「阪堺電軌への支援策を6月までに取りまとめる必要がある。」
「」内 引用)
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/giji_yousi.html

以上2件、とり急ぎましてご参考まで。

また併せまして、上記と時期は前後しますが、年末(09年12月28日)の阪堺電気軌道社長による堺市訪問時の報道配布資料を画像データで2件、以下にご紹介しておきます。

1228a
報道お知らせ文(09年12月28日)

1228b
別紙資料(09年12月28日)

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2010/03/22

【0036】堺市庁内委員会 開催されたようですが・・・

年初に市長が設置を明らかにした「専門家ワーキンググループと庁内委員会」について、その第一回目の模様が堺市サイトで公開されました。

堺市ホーム〉建築都市局〉鉄軌道推進室
専門家ワーキンググループと庁内委員会の開催について
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/kaigi.html

公開されたのは3項目、4つのファイルとなっています。
1)http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/img/kaigi_siryou1.pdf
堺市総合交通体系検討庁内委員会の概要
(仮称)阪堺線再生プログラム作成案について

2)http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/img/kaigi_siryou2.pdf
   http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/giji_yousi.html

阪堺電軌㈱の沿革
阪堺線(堺市内)乗車人員グラフ
公共交通乗降客数の推移
平成19年度軌道事業線別収支状況
平成20年度軌道事業線別収支状況
堺市と南海電鉄㈱・阪堺電軌㈱との協議状況
大道筋現況軌道状況内訳
阪堺線の必要性・価値
委員意見概要

3)http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_tetuki/img/kaigi_siryou3.pdf
阪堺線再生プログラムの検討たたき台
平成22年度予算(案)について
阪堺線乗換客実態調査について

このうち2)の前半部の資料については貴重なものも含まれており、追って他のデータとともに見ていきたいと思います。

注目されていた討議内容については、正直言って「いま一つ」の感が拭えません(^^;。参集された市役所の方々は、各々のお立場から真摯に検討、発言されたものと拝察しますが、事前に用意された情報、具体的には公共交通が直面する現状と、街のあり方に関する可能性や拡張性、あるいは喪失時のリスクといった観点からの材料が十分ではなかったのでは、との懸念を覚えるのが正直な思いです(^^;。

また、有識者の先生方のご意見が、少し等閑視されてしまっている印象を受けるのも残念です。挙げられた先生方のお名前を見ますと、公共交通に関しては博識で知られ、それぞれに実績も一家言もお持ちの方ばかりですが、このメンバーが数時間討議された内容が、なんでぺラ1枚に収まってしまうのか。ちょっと簡潔にまとめ過ぎではないのかな。この分野に多少なりとも関心のある方でしたら、誰しもが疑問に感じられる事ではないかと思います。

【0035】でも記しましたように、この庁内委員会と専門チームは、年初に、竹山市長が迅速に設置を決定されたものでした。その動向は、市内外から多くの方の注目を集めています。ある意味、議論の内容以上に、討議スタンスそのものが関心を集めている部分もあるのではないかという気もします。私自身も大いに期待していたもので、今回の発表はちょっと物足りないものを感じた、というのが実感でしょうか。

今回は初回という事で、難しい面もあったと思います。上記の通り、資料面では有益なものも発表して下さっていますし、今後に期待できる部分もありますので、次回の発表を待ちたいと思います。皆様は如何お感じでしょうか。

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【0035】阪堺電車 存廃危機までの経緯

阪堺線のピンチについて、時間の面での具体的な状況を教えて欲しいというご意見をいただいています。ここで年末以降の経緯を振り返ってみたいと思います。

阪堺電気軌道社長が堺市役所を訪問(09年12月28日)
9月市長選を受けて発足した新体制は、東西鉄軌道中止と共に様々な交通構想(ニュートラム、地下鉄等)を掲げていましたが、何故かこの時期まで、南海阪堺との公式な会談は持たれていなかったとの事で、阪堺サイドとしては年末、シビレを切らしての訪問だったという感があります。山本社長は席上、これまでの経緯と共に、今後の具体的な支援策の提示を訴えられたという事です。

堺市で庁内委員会と専門チームを設置(10年1月6日)
年初、堺市は阪堺線堺市内区間の存続や東西鉄軌道整備などについて検討する、庁内委員会と専門チームを設置したと発表。年末の阪堺からの申し入れを受けての動きと思われます。

堺市議会でLRT計画関連予算削減可決(10年1月13日)
平成21年度補正予算案について再度審議、総合交通網調査費300万円を残し、LRT計画関連予算を削減する修正案が可決承認。削減された予算の中に、これまた何故か阪堺線の線路改修費用が含まれていたとの事です。

南海社長と堺市長会談(10年1月22日)
LRT中止(阪堺電気軌道の経営予定者を解除)とともに、阪堺線公有化の白紙撤回も、堺市長が南海に申し入れ。南海は席上で「堺市内の本来あるべき公共交通体系と、街づくりの方針」、「阪堺線やバスなどの公共交通の位置づけ」についての明示を市側に要望。阪堺線については2010年度の暫定措置と中長期的な対策についての協議を申し入れたとの事です。阪堺線は9月に存廃の結論が出され、その判断は6月までに出ている材料によってなされるという事になっています。

堺市役所サイト リリース文
東西鉄軌道事業に係る経営予定者の決定解除及び阪堺線公有化の撤回申入れについて
http://www.city.sakai.lg.jp/city/info/_koho/pub1002/01_01.pdf

以上概観した通り、6月までに具体的な支援策が提示されなければ、9月には阪堺線の廃止が決定するという事になっているのが現状の様です。今が3月も下旬ですので、一体あと何日あるんだろうという話です。

阪堺電気軌道が当初、堺市に存廃協議を申し入れたのは2003年の事でした。当時から進められてきたカウントダウン、10から始まって7くらいの所で、いったん周囲の耳には聞こえなくなっていた感じですが、だからと言ってリセットされた訳でもないだろうな、と思っていました。これが昨秋、いきなりラスト2でコールが再開されたといったところでしょうか。いま残り1カウントあるのかな? 実際はレフェリーの誤差くらいしか残っていないんじゃないかな、というのが実感です。
この件については資料の整理を兼ねて、しばらくお話を続けさせていただきたく思います。

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【0034】てくてくきっぷ 22年度新版

天王寺駅前の発売所で購入した「てくてくきっぷ」(全線フリー乗車券)、使用年のスクラッチが新しくなっていました。平成22 23 24年での使用が可能となっています。シリアルは500台で、先日車内で購入したものは21年から3年の仕様が残っていましたので、最近に補充されたものと思われます。

「てくてくきっぷ」の設定当時は、使用年スクラッチは2年分(平成11、12年)で、後の補充から3年対応になっていたと記憶します。これを見た当時、ファンの間では、よし、あと3年はチン電大丈夫やな、と言うのが合言葉みたいになっていたのですが、今回はどうでしょうか・・・。

Tekuteku

平成24年の阪堺電車。
いうまでもなく、大阪と堺で阪堺電車です。今まで同様、「てくてくきっぷ」を使えればいいのですが。

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【0033】Ichinochoの2011年

ブログ開設のお知らせを始めてから実質2週間、アクセスカウンターの値は2500を越えているようです。早いですねというご感想をいただきました。カウンターの仕様が良く判っていないのですが、閲覧される具合によってカウントが進むケースもある様で、実際にアクセスいただいた方の数は4桁に達した位みたいです。数字を水増ししない当WGとしまして(^^;、一応の状況をお伝えしておきます。
お越しいただいている方は関西が中心なのは自然かと思いますが、一応北海道から九州までに分布されている様子です。特に首都圏からのアクセスは結構多くて、阪堺線の問題に関心を寄せておられる方の多い事を感じさせられます。リピータ度も日毎に上昇しているみたいです。お越しいただいた皆様、ご紹介いただいた方々に厚く御礼申し上げます。
書き込みの数も増えてきましたので、通番をつけることにしました。カテゴリーと併せてご活用ください。

また、URLの意味はなんですか? というご質問もいただきました。「Ichinocho1911」。地元の電車ファンしか通じないかも知れません。失礼いたしました。

市之町というのは堺市の地名で、阪堺電気軌道(初代)開業時の終点の電停名になります。開業日は明治44(1911)年12月1日となっており、なのでURLに使用したという次第です。

Kataoka
国立公文書館 保管資料
(画像の無断転載はお断りします)

開業時の電停名は起点から、恵美須町、南霞町、今池、北天下茶屋、聖天坂、天神ノ森、阿部野神社、勝間、奥ノ天神、住吉鳥居前、細井川、我孫子道、大和川、高須神社、綾之町、神明町、花田口、大小路と来て、市之町は仮の終点という位置付けだった様です。
初代阪堺電軌は翌年の春~夏にかけ、少林寺橋、続いて浜寺公園に路線を延長し阪堺線を全通させ、大浜海岸への支線も開通させました。市之町電停は延長時に解消され、歴史の上では大小路電停に統合された形になっているようです。
市之町電停の位置、今では対比が難しいのですが、宿院電停の手前の大道筋、東寄りの歩道付近に相当するのではないかと思っています。ちょうど先日掃除をさせていただいた辺りのどこかになるのでしょう。

阪堺線が開通から100年を迎えるのは、2011年、つまり来年の暮れになります。ある意味非常に微妙な時期という事になってしまいました。なんとか当座の危機を凌いで、ささやかにでもお祝いをしてあげたいと願うばかりです。

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【0032】船尾 枕木の香り

船尾電停付近をウロウロしていると、懐かしい芳香が漂ってきました。
防腐処理を施した木の匂い、という表現でいいのでしょうか。昔はどの電車でも、沿線では当たり前の様に感じていた匂いですが、最近はPC枕木も増えたりして、なかなか接する機会がなかったものです。
船尾では、上りホームの周辺で保線作業が実施された様です。道床の砕石が補充されており、併せて枕木も新調されたのでしょう。作業時のチョークの残り具合から、最近施工されたものと思われます。

先行きが懸念される阪堺電車ですが、地道な努力は営々と続けられています。ご乗車の機会があれば、こんなところにも目を向けて見てください。

Funao

2010年3月 船尾
(画像の無断転載はお断りします)

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