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2010/03/09

【0012】万葉線存続運動・蝋山先生ご講演(3)

■ 市場経済のもとで公共交通は生き残れるか
 こういう発想で考えると、実は基本的な問題に突き当たります。路面電車なり、公共交通は、ただ放っておいたのでは生き残れないのです。今申し上げたような高岡らしさのシンボルとして、まだ他にも環境に優しい、あるいは新湊と高岡の間を結ぶ街の紐帯、絆の役割などもあります。そのような目に見えない、気付かれないかもしれない、ある種のメリットを地域全体に及ぼすような活動、それがまさに公共財であり、公共的な便益ということになります。

 このよう公共的な便益をマーケット、市場経済の中で値段に反映させることは大変難しいわけです。すなわち、普通の切符の値段には、移動手段としての他に、プラスαとしてその人の感じる公共交通手段の無形のメリットが反映されるに過ぎないのであって、地域全体に与えるメリットは運賃価格、切符の値段には反映されないのです。しかし、経営はそうした切符の売り上げに依存してやっていかなければならないので、便益と費用の関係から言えば、当然大きな費用がかかり過ぎ、収入が費用に追い付かないことになります。このような地域へのメリット、地域公共財としての公共交通を維持するためには、どうしても地域の意思を代弁する地域の財政が、一部の費用を負担することにならざるを得ません。これは市場経済の鉄則です。 市場経済は万能ではありません。経済活動の私的な利益は価格に反映させることができます。そして、価格の持つそうした意味には大変重要なものがあります。追い付かない、便益の無いものは低い値段が付くし、売れません。欠損を出します。ですから、市場からの退場を命じられます。しかし、それはあくまでも私的な財、私的な便益の範囲に止まります。公共的な便益にもたらす活動については、そういう原則を単純に当てはめてはならないのです。そういう点では、ある程度の財政の負担が、私は必要だと思います。

■ 私企業的経営の徹底は必須
 しかし、私は、財政が何でもやれば良いと申し上げているわけではありません。そういう点では、公共投資の見直しは絶えず行われなければいけません。本当に地域全体に公共的な便益を与えているかどうかのチェックはしなければいけないわけです。制度的に公共投資とみなしている事業をすべて公共投資だから財政でやっていこうという形では、野放図な財政になり、財政のタレ流しと非難されざるを得ません。ですから、絶えず厳密な意味での公共性の見直しは必要です。それと同時に、財政の負担との間にはある種の緊張関係があって然るべきです。 万葉線に関して、あるいは公共交通について言うならば、私はそれなりの公共的なメリットが十分にある存在だと認識しています。したがって、一方ではそのメリットを評価する財政の負担を要請しながら、またもう一方で、極めて厳格な私企業的経営が必要だということも事実だろうと思います。財政に任せっぱなしでそうした地域的な便益の供給を行うと、それはいわゆる「親方日の丸経営」となって、極めて非効率的なものにならざるを得ません。お金の面で財政資金を投じるとなると、むしろ経営面では、簡単には潰されないということになりますから、普通の私企業以上に私企業的な経営が実践されなければならないと、私は思います。

■ これまでの万葉線は悪しきケースの象徴
 財政からの援助を受けながら、私企業として徹底的な私企業的経営をする。そうした形で、地域の公共的な便益の効率的な提供を行う。このような観点で考えてみたとき、私はこれまでの万葉線は落第だったと思います。ある程度の財政的資金は投じられましたが、万葉線の運営は大変不十分なものでした。県と高岡・新湊両市はこの万葉線の存廃問題、すなわちもう路面電車は止めて、バスに転換するという㈱加越能鉄道の提案を受け入れるかどうかを決定する際に、あるシンクタンクにこれからの万葉線についての経営予測を依頼しました。その調査報告書に提案されている、利用者増加策と経営合理化策のリストがありますので、それを資料として配付しました。これをご覧になると、おそらく富山経済同友会にご参加の私企業経営に徹してこられた皆さん方から言えば、「えっ、こんなこともやってこなかったの」と驚かれると思います。

 例えば利便性の向上に「スピードアップ」という項目があります。今の新湊と高岡の間の所要時間は8分程度短縮できるそうです。これは「こうしなさい」という提案をしているわけですが、逆に言うと、こういうことが今までされてこなかったというのが私にとっては非常に不思議なのです。やはりこういう点を十分に反省し、踏まえて、万葉線の問題を考えなければならないのではないかと思います。ですから、懇談会の意見の集約という形で、そのような趣旨の文章を書いて、新湊・高岡両市長に提出しました。要するに、万葉線の問題は、新聞で大きく報道されるような鉄軌道施設をいくらで加越能鉄道から両市が買い取るか、あるいは第3セクターを作るか作らないかという話以上に、誰がどういう経営をするかが一番重要な問題なのです。そこのところを乗り越えることができるかできないかが最大の問題だと私は考えています。

 この調査報告書で提案されているような利用者増加策なり、経営合理化策は、本来であればもっと早くからやって然るべきでした。しかし、それを怠ってきたのです。それはなぜかというと、今はやりの言葉でいえば、ガバナンスのメカニズムがうまく機能してこなかったということです。今後の問題として、万葉線を第3セクター方式で運営するとすれば、そういうガバナンスのメカニズムをきちんと持った第3セクターでなければなりません。
 普通の第3セクターは、私企業以上にガバナンスのメカニズムがめちゃめちゃです。今日の日本経済新聞をご覧になっても、第3セクターの全国的な問題が指摘されていました。関西新空港なり、宮崎のシーガイアなり、大規模プロジェクトの問題点がまとめて指摘された記事が載っていました。これからの万葉線を普通のタイプの第3セクターに任せたのでは、おそらくそういうガバナンスのメカニズムがきちんとしないので、そうしたもののリストの中の1つに、「万葉線」の名前が出るのが落ちではないかと思います。
 逆に、万葉線を地域の公共的な便益のために残すとするならば、私は残して欲しいと思うのですが、一番乗り越えなければいけないのはお金の問題ではありません。今後の経営をうまく行う最大限の努力を発揮して、お金の面では財政の援助を受けながら、新しい万葉線会社をうまく運営できるかどうか、具体的には調査報告書で提案されているような、当たり前の利用者増加策なり、経営合理化策を貫徹できる経営ができるかどうかだと思います。 おそらく万葉線の問題は、ただ単に万葉線にとどまらず、高岡と新湊の間の路面電車に止まらず、おそらく富山の、あるいは日本の公共交通全体の抱える問題の象徴と言えるのではないかと思います。しかし、小さな象徴です。したがって、このような小さなケースをうまく乗り越えることができれば、高岡はある種の日本のモデルになるわけです。あるいは、富山は1つのモデルを提起したことになるわけで、今後の日本の公共交通問題に与える影響は大変大きいものがあるだろうと思います。それぐらいの心意気が少なくともなければいけないでしょう。

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