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2010/03/12

【0020】阪堺線-南海本線では代替できない話(2)

2003年夜市の状況は、(1)でご理解いただけたと思います。
帰宅時に見られた阪堺線乗車客の待ち時間は、最大60分を越えていました。この日南海本線は通常ダイヤでしたが、平均15分ヘッドで電車が流れており、堺市民の方であれば、阪堺線を待っている間に本線の最寄駅(諏訪ノ森-七道)に到着できているはずです。阪堺線でないとアカンねんという人達が、これだけ大量に姿を現した事実をご認識いただきたいところです。私は当日夜半の上り電車に乗車しましたが、乗客は石津から順に降車を開始、宿院で頓宮の夜店客を若干加えつつ、堺市内各電停でほぼ均等に降車、高須神社でほぼ完了となりました。花火客の大半は堺市民であった事がうかがえます。電車は大和川を渡る頃には車内が閑散としましたが、この後住吉鳥居前で、住吉祭の帰宅客を大量に迎える事になります。

往路の混乱については、住吉祭の存在を補足しておく必要があろうと思います。住吉祭の波動メインは夜間の夜店タイムとなります。浜寺へ下った電車がラッシュに巻き込まれ、我孫子道で上り電車が所定の時刻に到着できない状態が起きていた頃、丁度大阪側では夕刻波動の立ち上がる時間にブッキングします。結果、特発電車は上り方(当時の系統で恵美須町方)のダイヤに優先して投入せざるを得ません。特発車が恵美須町で折り返し、堺市内に姿を見せるのはラッシュ発生から1時間程度経ってからとなります。この間、阪堺線下り方は援軍の無い状態でダンゴ運転を余儀なくさせられた形になります。

ここで当夜の阪堺電気軌道の対応不備を指摘するのは簡単ですが、これには伏線がありました。上記再録でも言及していますが、この年6月、やはり浜寺公園で、花火大会が実施されていました。

2003年6月1日「高石海岸物語」於浜寺公園

これは当初、相当の人手が予想され、南海電鉄、阪堺電軌ともに臨時対応の準備を整えており、阪堺では乗客の流動次第で特発対応の手配も済ませていたのですが、当夜の利用状況は、今ひとつ芳しくないものでした。具体的には、高石市内から徒歩や自転車で来ていた方が来場者の大半という雰囲気であったと記憶しています。03年夜市輸送に対して、南海、阪堺ともにやや手薄な印象があったのは、この時の経験によるものと思われます。付記すれば阪堺の夜市対応としては、ザビエル公園で開催されていた当時と比較して、決して見劣りするものではありませんでした。
振り返ればこの行事、堺と高石のJC合併記念という位置付けであったものですが、下地には当時話題となっていた、堺市と高石市の合併計画があったものと考えられます。行事が実施されたのは、高石市の選挙によって合併が破談となった直後で、堺市内においては、当該行事のPRがほとんど行えていなかったのが実情でありました。

ここで得られたものをまとめるとすれば、以下になろうと思います。

・南海本線と並行していても、阪堺線を選択する乗客は確実に存在する。
・この人達は、相当条件が悪くても阪堺線を選択する。
・この乗客の大半は堺市在住者
・行事等、必要性があれば、阪堺線は輸送手段として認知されている
・ただし、適切なPR等が行われなければ空振りに終わる場合もある。

2003
2003年7月 浜寺駅前
(画像の無断転載はお断りします)

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